・絶望の表現としての殺人への代償

網走刑務所昨日の記事「絶望の表現としての殺人を防ぐ」には、多くのコメントをいただきました。

死刑よりも効果的な刑罰とはどのようなものか、判らないなりに考える必要を感じている皆さんの思いが伝わってきました。


罪を重ねれば、刑罰もそれに応じて重ねられるのは、『因果応報』として社会に受け入れられやすいと思います。

しかし、刑期が延びた分も刑務所で生活保護を受けている受刑者による負担が国民を苦しめるのは納得いかない。

受刑者一人当たりの経費は250万円/年という情報もいただきましたが、通常支給されている生活保護の受給レベルよりもかなり高額です。


考えるべきは、税金で受刑者を養う必要があるのかどうかです。

犯罪行為の能力があることの裏返しは、営利活動に従事する可能性があることを示していると思います。

長期受刑者は自給自足を原則とし、最低限の生命維持に必要な経費以外の余剰分は、国庫へ納入される仕組みを作ってはどうだろうか。


刑務所作品の展示販売を時折見かけるが、手に職を持たない受刑者の社会復帰訓練としては良いかもしれないが、すでに高い社会的能力を持った受刑者に適材適所として与えられていないかもしれません。

優れた固有の能力を持った受刑者を税金でただ飯食わせておくのはもったいない。

しっかり稼がせて社会に還元させましょう。


「言うは易し行なうは難し」なのは十分に承知の上ですが、死刑よりも効果的な刑罰を取り入れて社会の安全性を高めるためには避けて通れない関門です。

反社会的な行為には社会貢献が義務付けられる、すなわち生き地獄とは、

『命ある限り自己を滅して社会のために奉仕し続ける。』


絶望の表現としての殺人を犯す代償としてこれが科せられるとしたら、自己中心的な犯罪者心理からは避けたいという思いが強まるのではないかと考えます。