・祖母が生みの親の試験管ベビー

Wikipedia 人工授精より子供を生む権利というのはあるのだろうか?

61歳の母親に自分の子供を産ませた、娘による代理出産が昨日のニュースで配信されました。


「諏訪マタニティークリニック」(長野県下諏訪町)の根津八紘院長は20日、不妊の娘のために61歳の女性が昨年、代理出産していたことを明らかにした。28日に福岡市で開く日本受精着床学会で発表する。国内での出産例としては、最高齢とみられる。

根津医師はこれまで、生まれつき子宮がないなど妊娠・出産ができない娘に代わり、実母が妊娠・出産する代理出産を4例実施したことを公表、このうちの1例にあたるという。=毎日新聞 8/20=

この件に関して、当事者の根津氏がHPでコメントしています。

「実母による代理出産」学会発表について

この中でもっとも気になったのが「自然界ではあり得なかった高齢妊娠・出産に関する様々な危険性は充分考えられます。」という記述。

自然界ではありえない人為的な生殖作業で子供を授かることが許されるのか。


昨日は、産科医療過誤事件で無罪判決が出た日でもあります。

産科医不足に拍車をかけた注目の事件でしたが、医師を無罪放免にしたからといって現状の改善につながるかどうかは不透明です。

ミスをしても無罪だからよしとするのではなく、医師がミスを謝罪し補償する患者との関係を築いてこそ、相互の信頼関係が保たれるのではないでしょうか。


医師も患者も、自分の権益や利益を主張するばかりでは疲弊してしまう。

さらに、産みたいからと権利だけを主張し自然の摂理を無視するところまで行ってしまっては、人間の強欲としか見えません。

子供を産みたい気持ちは理解できますが、『卵子精子を足して胎盤があれば人間が作れる』とする体外受精が倫理上許されていないのも事実。(日本学術会議による代理出産を原則禁止するよう求める報告書)


人が出産し子供を育てるのは、義務でも権利でもない。

あくまでも地球に生きる生物の営みとしての自然の摂理にすぎない。

産む権利も産まない権利も、どちらもないのだから、産める人は産み育て、産めない人は産める人の手助けや、不幸にして生まれてきた命を救う手助けをすればいいと思う。


産む側の権利に翻弄されてないがしろにされる、産まれ来る子供の利益。

自然に授かったのではなく、人工的に製造された身であることを受け入れなければならない子供が哀れです