・ひどい政治に、とほほ・・・。

この週末、政治や生活に直結する課題に関して、さまざまな情報をいただいた。


駒ヶ根市に建設されようとしている賭博場(場外車券場)は、駒ヶ根市北割1区の区長が推進しているとのものあり。

同様の賭博場建設に反対運動を展開された辰野からは、町長と県議の資質についてのものあり。

長野県の村井知事と自殺した側近のスキャンダルまで。

公開できるものと、時機をみて詳細に把握してから効果的に発表したほうが良いものと、いろいろあるので少々頭が混乱気味です。


共通しているのは、政治家の質が低いので、一部業者の金儲けに加担したり、市民の財産を犠牲に税収増に走ったりと、社会のレベルがあまりにも低いということ。

政治を志す者の質が低下しているとの見方がある一方で、選挙を経て政治家となる場合は「政治家としての質」で競われるのではなくて「選挙に強いものが勝つ」が、低レベルな政治家を生んでしまう背景にあるんではないだろうか。


ここ駒ヶ根を例にとって見ればまさにその通りで、昨年1月の市長選挙では、中原正純・前市長の後継候補と杉本候補、共産党の林候補が戦った。

市民生活を豊かにする政策という点では、林候補が最も優れていると思ったので、できることなら当選して欲しかったし、できるだけ後押しもした。

しかし、現実には選挙準備のごたごたがあり、「赤」というレッテルが他陣営から不当に批判され、政治家としての質が問われる以前に当選の可能性を奪われてしまっていた。


こうなると、中原後継を許すか否かにかかってくる。

杉本候補も反中原の一派が支援するようになって市民代表とはかけ離れた選挙を目指していた。

駒ヶ根市民すべてのために市長になるのではなく、今まで辛酸をなめさせられた中原派を追い落とし、市民派は共産だとの偏見で排除し、目指したのはお友達市政。


中原院政を阻止するためには、悪政になることを覚悟の上で杉本候補に勝たせなければならない。

あまりにも過酷な究極の選択だった。

結果は、最悪を逃れるための汚らわしい妥協しかなかった。


当選させてしまった杉本市長は、公約もお友達が作ってくれたものをタダ暗唱していただけだから予想通り人任せ政治。

外部から副市長を連れてくるというのも選挙に勝つための方便で、できるはずがないことを市民に公約として示せる無責任な候補者だったことが証明されてしまった。


つい最近、飯田市の前の副市長を昭和病院の中枢に迎え入れたが、これには飯田市民から批判の声が寄せられている。

杉本市長に人材を見抜く力や、抜擢する能力がないことはすでに証明されていることなので、できないことはやってもらいたくないのだが、飯田市民に「とんでもない人を送り込んでしまった」と言わしめる人事が関の山。

その飯田市からは、昭和病院に向かいいれた「とんでもない人」が、しばらくすると『とんでもないことになる可能性が高い』と困った情報が寄せられている。


批判しているだけでは何も変わらないからと、精力的に市や地域の課題の解決に取り組んでも、結局は低レベルな理事者たちのずさんな政治に台無しにされてしまう。

残るのは徒労感だけ。

たまには愚痴でもこぼさないと駒ヶ根市民はやっていけない。とほほ・・・。