・地元の学校へのクレーマー

最近になって、地元の学校にクレームをつける集団が発生したようだ。

中学校の制服に対する持論を教育委員会や学校にぶつけているらしい。

教育環境の改善に市民が声を発することは良いことだが、その根底にある考え方に問題を抱えている場合は別だ。


私は、その団体について直接接したことがないので、あくまでも間接的に得られた情報にもとづく記述になる。

そこで、事実だけを記すことにした。

邪推で誹謗中傷と受け止められると後が怖いですからね。


その団体?の中心人物の家庭では、子どもを地域の子育て活動から隔絶している。

地元には青少年健全育成会というのがあって、ほとんどの子供が参加して地域に見守られながら育っている。

正月の年中行事に始まり、お祭り、異年齢の交わり、親子の交流など地域社会が手を取り合って一緒に子育てする重要な機会が提供されている。


しかし、「子どもの教育、教育環境改善に向けた取り組みをしているグループです」と言っている中心になっている方の子どもは、親から参加を禁止されている。

自宅のすぐ近くで子どもたちが楽しい行事に興じている時でも、その家庭の子どもは家に閉じこもっていなければならないケースが生じている。

親の自己満足の犠牲になるかわいそうな子どもが地元にいることに、地域では多くの関係者が心配している。


手をこまねいて傍観しているわけではなく、積極的に子どものことを考えて参加するように働きかけるのだが、持論を盾に頑なな姿勢を崩そうとしない。

その一方で、学校のカバンや制服といった「モノ」を対象として持論を押しつけようとする。

こういった場合は正論であっても、根が歪んでいれば受け入れられるものではない。


違う観点からも問題がある。

駒ヶ根市では、ゴミ出しのルールが決められていて、回収されたゴミの行くへもルールに基づいて業者との取り決めされている。

我がままな無分別な家庭から出されたゴミが混ざれば、市全体に迷惑がかかる。


上で問題にした当事者は、ゴミの分別もおざなりだということだ。

出されたゴミを直接見た人の話だから間違ないようだ。

地域社会の基本的なルールは守らなくても、持論が社会に通用すると思っているこういった傲慢な考え方をする人が田舎に住み暮らすと、まわりが大変に迷惑をこうむる。

私も一家言ある方なので、行政からは目の上のたんこぶと見られがちだが、反地域社会的な生き方はご法度と心に決めている。

昔ながらの地域共同体の良いところも悪いところも受け入れることが、その土地の文化を尊重することになると思うからだ。


悪いところを是正しようとするならば、自らは基本的な地域社会のルールを守る義務がある。

基本的な義務すら履行せずに、自己主張ばかりしていては「エゴ」と受け取られても仕方がない。

ところがエゴに走っている当人は、自らを善人だと自認しているだろうから始末が悪い。


「郷に入れば郷に従え」は、田舎に暮らす者の大原則だ。

その土地は長い長い歴史と文化に裏付けられているので、安っぽい個人の価値観で安易にクレームをつけられるものではない。

ましてや、地域の良さを子どもから奪い取るような傲慢な親には理解を示す必要すら感じない。


社会の歪みや悪いところを是正したいと考えている点では類似点がなくもないのが上記の人物だが、地に足をつけていない活動と、子どもの主権が侵害されている点では接点が全くない。

地域社会のガンとならなければよいがと、危惧される。