・知事は叩くが市長は誉める

信濃毎日新聞を購読しているのですが、疑問に思うことがあります。


田中知事の行動や言動は細かくチェックされ、厳しく書かれているのに、
反田中の市長たちの批判記事は見当たりません。
知事のちょっとしたミスでも大きく取り上げられますが、
市長の大きなミスは記事になりません。


知事と市長では存在の大きさに隔たりがありますので同列に扱われなくても不思議ではありません。
しかし、些細なことでも見張っている知事に対する目と、
大抵のことは見逃される市長への目を使い分けているように感じます。


読者として感じるこの扱いの違いは、政治に対するマスコミとしての方向性に偏りがあるからだと思う。
知事の県政の落ち度よりも、駒ヶ根市政の落ち度の方が罪が重いものがあると思います。
しかし、マスコミは取り上げません。


これが都会だったら、週刊誌がその役目をかってでるのでしょうが、
地方の市長がどうしたからといって、東京から週刊誌が取材に来ることはないでしょう。
駒ヶ根市長のものとする破廉恥行為が写真週刊誌に取り上げられたことはあったが、
誰が買い占めたものか、書店の店頭から一気に姿を消してしまった。
こんな不思議な現象があってもマスコミは知らん振りしている。


市民は独自に調査する手段を持たないから、新聞から得られる情報で現状を判断するほかにない。
駒ヶ根市のことを書く大新聞はないので、地方紙に頼ることになる。
信濃毎日新聞に代表される地方紙は、取り上げ方に偏りがあるように思える。


本来なら新聞は、市民の知る権利を守るために行政の裏側にも切り込む姿勢が求められる。
田中知事に対する厳しさを、駒ヶ根市にも向けられない訳は何だろう。
知事を擁護したくて言っているのではありません。
行政の長がマスコミに正面から対峙することは当然だと思うからです。
知事と市長の存在価値は市民にとって違いがないはず。
マスコミは編集者の思いよりも、市民の目線で時の行政に目を光らせてもらいたい。


これをしないマスコミは、批判されていない市長と仲良しと思われても仕方がないのでは。