・県民が託したわけではない

長野県知事選挙の結果を受けて、マスコミ各社は「村井仁さんに県民は県の将来を託した。」などと報道している。
・長野日報 『村井氏「改革後戻りさせない」 声に耳傾け県政推進』


はたして、この表現が適当であるかどうか、検証が必要であると思います。
その方法の一つとして、先の衆議院選挙で自民+公明候補の得票と、民主党共産党のそれを比較してみると興味深い。
駒ヶ根を含む長野五区では、宮下一郎 対 三沢好夫+加藤学がこれに当てはまります。
今回の知事選と関連性が強いことがわかりました。


このことが何を意味しているかと言うと、

  • 自民+公明の組織票は、衆議院選挙と県知事選挙で違いがない。
    • 組織票は固定されていて増減がほとんどない。
  • 村井氏の得票は、組織票から上積みされていない。
    • しがらみのない県民の票が村井氏を当選させたわけではない。
  • 民主党系の地方議員が村井支援に回っても、基本的な組織票からの上積みはほとんどない。
    • 民主党系の地方議員が持っているとする票は、実は錯覚に過ぎない。
  • 連合の支持による変動が見られない
    • 連合の票は浮動票の誤差程度の影響力しかない。


すなわち、村井氏に長野県を託したのは、組織された県民であって、自由意志の表れではない。
村井氏は、一般県民の信任を得たわけではないとの分析が成り立つ模様です。
状況の分析をしているのは私ではないので、詳しくは↓を参照してください。
・みやっちblog 『知事選から見えてくるものとは』


この結果がもたらすものは重要な意味を持ちます。
「何事も市町村長や県議会、県民の皆様と相談して・・・」と念仏のように繰り返していた村井氏の言葉からすれば、
マスコミが言うところの「託した県民」と相談することになります。
組織の指示に従った「県民」の声を聞くとも解釈できます。


この邪推を裏付けるような村井氏のコメントが発表されました。
・時事通信 『ガラス張り知事室廃止へ=初当選の村井氏が会見−長野』

ガラス張り知事室は、分け隔てなく県民の声を聞くための田中知事が示したパフォーマンスの一つです。
しかし、単なるパフォーマンスではなく、誰とどのように話をしているのか、隠さない姿勢の表れでもありました。


村井氏が真っ先にガラス張りを否定して見せたところに、「託していない県民」の不安があります。
さらに、知事公舎の復活を示唆したことも、密室談義の復活を予感させるのに十分な発言です。
カタカナ名称は良くないが、県民のための「お尋ねコンシェルジュ」を、体感してもいないのに廃止する感覚は『お上』意識の強さを感じさせます。


当選直後の記者会見で、これら開かれた県政の象徴であったものを、まず先に取り上げて捨て去る姿勢に不信感が募ります。
長野県が直面している高校再編問題や累積債務問題よりも、田中氏の手法を葬り去ることを優先されては、選挙中の不安が頭から離れません。
村井氏が知事として取り組むべきは、長野県のために何ができるかを考えることであり、その過程で前知事の置き土産の活用方法を考えればよいはずです。


田中剥がしとも言えるこれらの行為が増長すると、田中県政の置き土産すべてが対象になる懸念が生じます。
知事に就任して後、村井氏が捨て去る「田中県政」に監視の目が離せません。