・飲酒運転は当たり前②

私も、若気の至りで大学生のころに飲酒運転をしたことがある。
酒盛りをした帰り道、原付バイクで、後ろから来る中型バイクの友人に追いかけられて疾走していた。
貨物鉄道専用の鉄橋に添って歩行者専用の橋が掛けられていて、近道だったので走り抜けた。
地の利に疎い後方の友人を、すでにかなり離していた。
さっさと橋を渡って自宅でゴロリ。


翌日、酔いがさめた昼過ぎに友人の部屋に行くと誰もいない。
アパートの別の部屋の友人もいない。
しばらくすると、別の友人がやって来た。
○○が事故ったんだって!!!


事故現場は、橋の中央。
ヘルメットは橋から10m下の川に落ちたが、人体はかろうじて欄干に引っかかって落ちずにすんだ。
しかし、脳に大きな損傷があり、意識不明の重体。原因は全身打撲。


私は、酒に酔ってバイクを運転していながらも、橋の中央にバイク避けの段差が設置されていることを意識していた。
そこだけは速度を抑えて乗り越えたから無事に通過できた。
しかし、友人は障害物の有無をも認識できないほどの状態で運転していた。
ほんの僅かの差だが、生死を分ける大きな差となってしまった。


幸い、友人は医療関係者の尽力で一命を取り留めた。
リハビリの甲斐あって大学に復学できた。
だから、私は罪の意識にさいなまれなくても済んだ。
もし、彼が一命を落としていたら、その責任の一端は私が負わなくてはならなかったはずだ。


こんな経験をお持ちの方は少なくないはずだ。
飲酒運転は、日常茶飯事、どこでも平気で行われている。
なくならないのは、無くそうとしない市民一人一人に責任がある。


福岡の痛ましい事件を契機に、飲酒運転は犯罪だ、
被害者が出る前に未然に防ぐために、発見したら警察に通報しよう。
市民の意識が正常になることを積極的に薦めたい。


少なくとも、行政は、車を運転して来た市民に酒の提供をしてはならない。
車を乗り捨てて、迎えが来るなどの便法も認めない。
役所の建物から出て行く飲酒運転の車を出さない厳格さが求められる。


社会責任を行政がどの程度自覚しているかの判別に、行政が絡んだアルコールの供与を見ればよい。

宴席を設けますので、お車のご利用はご慮願います。

宴席を伴う市の会合の案内に、こんな断り書きがあるようだったら、そこの行政は飲酒運転を黙認していることになる。

お車でお越しの方には、アルコールを提供しません。
駐車場の出口で、確認をいたしますので、飲まれる方は帰りの車の手配をお願いします。

少なくとも、この程度にはなってもらわなくては困ります。


本当ならば、車で来なければならない人がいる場合は、一切のアルコールの提供を止めればよい。
「酒がなくては本音が出ない」
こんな人は、酒に頼らずに本音が話せるように努力すればよい。
酒の力を過大評価する社会の風潮を改めないと、飲酒事件は無くなりませんね。