・市民の政治活動の重要性

市民レベルで政治への取り組みを考えるための準備会というのが開催されたので、
参加してきました。


集まるのは上伊那地域で政治問題に関心がある市民です。
今回が二回目なのですが、活動の趣旨が定まっていないので、
講師を招いて活動の方向付けをする予定でした。


ところが、始まってみれば、憲法論議一辺倒。
憲法論議が重要なことは重々承知しているつもりですが、
この会合の趣旨は、活動の方向を検討する準備会のはず。


講師の熱い憲法談義は、憲法スクールや護憲集会なら熱烈に歓迎されるでしょうが、
事務的な内容を詰めようとしていたところが、憲法論議に終始してしまい、会の趣旨がまったく履き違えられいた。
話されていた内容に問題があるわけではなくて、単に場を設定した側の段取り不足です。


政治の根幹は憲法にあるのだから、憲法を語らずして政治を語る資格がない。と言われてしまえばその通りです。
しかし、組織の立ち上げの準備の段階から憲法論議が必要だとは思えません。
政治マニアには、垂涎のテーマかもしれませんが、一般市民の認識とは乖離しています。


私は、政治問題の学習会そのものに興味があるのではなくて、
その場で得られた政治課題の考え方を、市民に分かりやすく伝えたいと思っていました。
だから、かなり冷めた目で集会の様子を眺めていたので、ほとんどの参加者には異質に写ったかもしれません。
会の趣旨が、準備会ではなく憲法学習会として設定されていたなら問題ないのですが・・・。


こういったことは、政治に関わっていると良くある事なのかもしれない。
大事な政治課題を考えるためには、基礎知識が必要だから、それをまずは頭に入れなくてはとの考え方です。
しかし、難しい課題を難しい言葉で語っていたのでは、一般庶民には理解できません。


例えは失礼なのですが、フィギュアを語るアキバ系と合い通じるものを感じます。
自分達が理解することが目的で、他者に理解してもらうためにどうしたらよいのかが置き去りにされている。
例えが失礼なので参加者からは怒られるかもしれませんが、実感をストレートに伝えるために選んだ例えです。


白熱した論議の最中に、私の頭に浮かんだのは、

  • 難しい話を突き詰めても、その他大勢の市民には馬に念仏
  • 憲法の重要性を市民に伝えるために分かりやすく噛み砕かなくてはダメ
  • 専門課程(政治学憲法学)から一般教養(生活の知恵)への橋渡しがあって始めて共感を得る

決して憲法オタクで終わってはいけないということです。


憲法論議、政治談議は大いに結構。
しかし、手段と目的を見間違えないことが大事です。
そのためには、話をする内容と場との整合性への配慮が不可欠です。
今回は、整合性が取れていなかったし、こういう認識では市民に必要な情報を伝えることもできない。


目的はあくまでも、日本の、長野県の、各自治体のあるべき方向性を考えるための知恵を、市民に持ってもらうことだと思います。
自分達だけが知識を身につけても、広がりを伴わなくては政治活動としては意味がない。
大事な活動をしようとしている皆さんには、常に意識してもらいたいですね。


逆に、こういった指摘が受け入れられないようだと、特別な政治集団として市民からは浮いてしまうことが懸念されます。
政治課題を市民に伝えることの難しさを常に痛感してこのブログは続きます。