・絶対権力を目指す村井知事

第3期全国知事リレー講座前、学生と談笑する宮城県の村井嘉浩知事(1日午後、京都市北区の立命館大で)(読売新聞)
立命館大で開かれた知事リレー講座に長野県の村井知事が登壇しまし、警察や教育も知事の権限下に置くべきだとの持論を発表しました。

 全国の知事が地方行政の現状や課題を語る「第3期全国知事リレー講座」として10日に開催されたもので、村井知事が約500人の学生を前に「行政のあるべき姿を求めて」と題して講義を行いました。


2002年に同講座が始まって以来、長野県知事が登場するのは初めてで、知事は、田中康夫前知事ら改革派知事の“パフォーマンス”を批判、「私の県政もほかの人の県政も差がない程度になれば理想」と安定感の大切さを強調しました。

 村井知事は、行政について「地味なもので、脚光を浴びたり、ニュースになったりするのは望ましくない」と持論を述べています。


 「脱ダム宣言」の田中前知事ら、全国の注目を集める政策を打ち出した改革派知事については、「バブル崩壊後、経済成長のきっかけをつかもうと、改革が地方で起きることを期待されて誕生した」と位置付けています。

ただ、「生活の足しになる政策は少なく、民衆はいつか飽きて求心力を失う」と“負の側面”を指摘した。


 今後の都道府県行政のあり方について、警察本部長や教育長が知事部局の権限外になっている現行制度に疑問を示し、「大事な問題には知事が責任を持つべきだ」と、とんでもないことをあっさりと語ったようです。


知事の暴走を防ぐために、警察は絶対に権力者の支配下に置くわけには行きません。

さらに、子供の教育を好き勝手にさせないためにも、独立が求められています。


しかし村井知事は、すべての実権を掌握した絶対君主を目指しているようです。

地味で脚光を浴びないとの持論は、裏を返せば県民の監視の目が届かないところで、自由に県政を食い物にすることができることを意味します。


村井知事の恐るべき危険な政治思想が根本となっている長野県政は、市民主体から絶対君主制へと見えないところで進行しているのです。