・化石の町、駒ヶ根を変えるのは誰か

駒ヶ根市議会議員選挙の結果に、「残念だったね」と言われると、そう思う気持ちが半分で、もう半分は「駒ヶ根だから当然でしょう」という気持ちがある。

町村議員を集落単位で選出する習慣を「まけ」と言うらしいのですが、駒ヶ根は市でありながら実態は町レベルなので「まけ」が色濃く機能している。

ですから候補者の政策が云々とかは建前で、投票行動は「まけ」で決められた候補に自然と投じることになる。


新聞社などが有権者アンケートを実施すると、景気や雇用、福祉などの政策で選ぶという調査結果が発表されますが、調査票を見せられたときには重要な判断基準だという気がしてまともな答えを書きますが、投票所にいけば「まけ」の指示どうりに書いてしまうのが田舎の有権者の習性だ。

本日の信濃毎日新聞にも特集記事として掲載されていますが、「まけ」の習慣は必要に応じて育まれてきたもので、私利私欲のためではありませんでした。

駒ヶ根で「まけ」というのかどうか知りませんが、本来の意味合いとはちょっと異なるのが駒ヶ根の選挙事情だ。

駒ヶ根が特殊だという証拠に、駒ヶ根市が市民に対して選挙情報をほとんど提供しないことがあげられる。


選挙期間中はもちろん、投票日になっても市の公式ウェブサイトに選挙情報のコンテンツがまったくないのは長野県内の市では駒ヶ根だけ。

投票が締め切られて開票が始まる頃になってやっと選挙速報へのリンクが現れる。

ケーブルテレビでも候補者の政策を発表するのが開票が始まってからですから、まったく意味のないことを漫然と続けている駒ヶ根市の選挙に対する認識は井の中の蛙を通り越して、化石に近いのではないかと感じている。


これは行政の怠慢でもあるのですが、それを当然のように受け入れている市民の民度が現れていると思う。

ポスターが貼ってあって、選挙公報が新聞に折り込まれてくるのだから、それで十分ということ。

さらに詳しく候補者の政策や目指す方向性を知ったところで、「まけ」の指示通りに投票するのだから余計な情報という扱いになってしまいがち。


今回の市議選挙への立候補はこうした駒ヶ根の特色を理解した上でのことなので、結果は告示日の時点でかなりの確率で予想できた。

立候補に至った理由は昨日述べたとおり、市議会議員になりたかったというよりも、なり手がないなら名乗りを上げておこう、という比較的消極的な動機でした。

私が市議会に乗り込んでいけば、これまでのような行政との馴れ合い議会でなくなるのは避けられないので、市側でも大勢は当選を妨害する方向に動くはず。


しかし、一番妨害に動いたのは、今も駒ヶ根のドンとして君臨するあの方だ。

3年前の市長選挙で「インターネットにやられた」との敗戦の恨みがあるだけでなく、馴れ合い議会ではほじくり返されることのない過去の触れてはいけないブラックボックスが開けられることの恐れ。

さらに、そう遠くない国政選挙で宮下一郎の態勢を磐石にするために、市議会を選挙マシーンとして機能させるための準備に支障をもたらさないためでもあったようだ。


落選運動が私のためだけに展開されたことから考えても、駒ヶ根の市議会議員選挙というのが、市議会に必要な人材ではなく、市議会に都合の良い人材を送り込むための儀式だということが分かる。

駒ヶ根の良さは改めていうまでもなく市民も市外の方々も良く知っていることなのですが、明らかに劣っている所についてはほとんどの市民が気が付かない振りをしている。

振りではなく本当に気が付いていないとしたら哀れだが。


下伊那郡大鹿村では、村民の意識が駒ヶ根市よりも格段に高い。

「地縁や血縁だけでなく、いろんな人が出るのはいいことだ」と受け止められている。

村民有志による合同個人演説会もあって候補者が出身地に関わらず候補者としてのビジョンを訴える機会が用意されている。

あらかじめ割り振られた候補者を思考を停止して選ばなければならない駒ヶ根の大半の有権者に対して、大鹿村の村民は明らかに視野が広い。


駒ヶ根のこの状況が変わるために多くの人の口を付いて出るのが「あの人が生きている間は駒ヶ根は変われない」だ。

一面ではそうかもしれないが、長いものに巻かれて安住することに慣れた逃げ口上でもある。

少なくとも一昨年の政権交代選挙では、意識が違っていたはずだ。


駒ヶ根が変わるためには暗躍する悪玉の死を待つまでもなく、市民が恥を知ることから始めるといいのではないか。

市議会議員の選挙が真っ盛りだというのに、市のウェブサイトにまったく情報を掲載しないほどに有権者が情報を欲していないのは、外部から見て異常とも思える。

20代30代の若手が、長いものに巻かれるのが処世術だと分かったようなことを達観しているようでは、駒ヶ根が化石の町として取り残されていしまうことになる。


誤解されないように断っておくが、私が当選しない理由が、駒ヶ根が化石の町であるということではない。

告示日当日からの票読みは、コアな票が200票、明確な妨害がなければ450票、奇跡的に有権者に大鹿並の意識が芽生えても650票が精一杯だと見込んでいたから、周りがばかげた噂を立てても当選はありえないと思っていた。

これが後付でないことは新聞記者に確認してもらえばすぐに分かることだが、残念なことにこうした票読みはかなりの確率で当たる。

市議会議員になりたかったというよりも、なり手がないなら名乗りを上げておこうという動機なのだから、これはこれでいいのだ。

結果が予想できても、できるだけのことをするのが選挙だし、支援してくれている人たちに対する礼儀でもある。