・駒ヶ根市議選は安定を求める日常の延長

駒ヶ根市議会議員選挙でご支援いただいた皆様に感謝の気持ちを伝えるのは公職選挙法に抵触するので、ご挨拶は割愛させていただきます。


駒ヶ根市議会議員選挙の結果は、想定どおりでした。

ご支援いただいた方々にしてみれば「何を言ってるんだ」と叱りたい気持ちになるかもしれませんが、田舎の選挙にいきなり「正論」を持ち込んだら、拒否反応のほうが大きくなるのは当然です。

田舎の良いところは過去が現在を築き上げているところです。

選挙のときにだけ、未来志向になれといっても無理強いになってしまいます。


田舎で非日常を選択するには膨大なエネルギーが要るということです。

今回の結果は、日常の延長線上にある(良くも悪くも結びつきが強い)選挙のしがらみを有権者が自然体に受け止めたからだと思いますよ。

現在から将来を見据えるのではなく、過去と現在の結びつきで判断するのが田舎の特色です。


地域で候補者を担ぎ上げる組織選挙は、その意味では理にかなっています。

政策や理念よりも、結びつきの強さが安心感を与えてくれるからです。

議員に政治を求めているというよりも、仲間が役所とのパイプ役に役立ってくれることを望んでいるような感じですね。


繰り返しになりますが、田舎の良いところは過去からのつながりが地域の文化を育んできたところですから、選挙にもその傾向が強くなるのは自然だと思います。

選挙の結果を田舎が悪いからだと言うのは筋が違っていると思います。


今回の駒ヶ根市議選に臨むにあたって重要だったのは、自分も自然体で日常の延長で居つづけるという事でした。

誰でも気持ちがあれば議員の選挙に出られることを目指そうといった手前、金銭的な負担なしにメッセージを伝えられなければ有言実行になりません。

ですから、目標は費用の持ち出しはないでしたし、結果としてお財布への負担は何もありませんでした。


インターネットの利用は手段の一つとして手軽でしたが、選挙情報の入手に活用する人の数が相対的に少ない田舎では有効な選挙ツールとは言えません。

選挙期間中に駒ヶ根警察や商工会議所で私が上位当選するのではないかとの噂が囁かれていたようですが、警察の人間がそのような話をすること自体がおかしいということは横においても、インターネットの実力を過信していたのは私ではなく周囲だったように感じます。


2011年の駒ヶ根市議選の背景は静かだった表面上の動きとは別に、水面下では権力者の私利私欲が暗躍していました。

そのきっかけは、私が市議会議員に立候補する見込みになったことですが、なぜ立候補することになったか、まだお伝えしていませんでしたね。


公職選挙法では立候補者が定員に満たない場合(駒ヶ根では15人未満)、欠員が定員の1/6以下ならば(駒ヶ根では2人)定員割れのまま全員当選、欠員が定員の1/6を超えれば(駒ヶ根では3人)補充のための再選挙を行うことになります。

選挙の事前説明会の時点で欠員が3人でした。

このままだと再選挙を実施しなければならなくなり、数千万円と見込まれる選挙予算が膨らんでしまいます。

だったら出られる人が名乗りを上げて再選挙をしなくても良い状況だけは整えておこうと思って立候補する態度を示しました。


ところが、良かれと思って動いた私の思惑とは逆に、駒ヶ根市に多大な影響力を持ち続けている方が過敏に反応しました。

ほんの数日で候補者を3人擁立して選挙戦に持ち込みました。

私が議員になると都合が悪いのだそうです。


選挙になれば組織の力が当落を決めるので、私が当選する可能性がほとんどなくなるのは明らかでしたが、だからといって辞退するのでは無責任なので、できる範囲で自分なりの選挙をしてみました。

日常の延長線上に選挙がある地域性なので、私を支援することは日常の生活に大きな障害をもたらすことになるのだそうです。

特に、商売をしている人たちには有形無形の多大な圧力がかかったようです。

陰ながら支援してくれた人たちは大変だったと思います。


まだ、駒ヶ根市議会議員選挙の全体を把握できていないので、詳しいことは後日にしようと思います。

駒ヶ根に想うならではの視点で背後関係を示せるように情報収集しますので、皆さんもご協力ください。