・伊那か者の無知


ソースかつ丼の元祖が、伊那か駒ヶ根か、市議会で不毛な論議が盛んですが、食べる方から見たら、元祖がどこだろうが、美味しいところで食べるだけです。


駒ヶ根、伊那の両市議会で交わされている低レベルな舌戦に水を差すようですが、ソースかつ丼の元祖の定義は、当の駒ヶ根ソースかつ丼会が明らかにしています。


・駒ヶ根ソースかつ丼会へのリンク 『ソースかつ丼・・・って?』

  1. 大正10年早稲田高等学院生中西敬二郎氏らがソースかつ丼を考案。周囲の食堂にて学生をターゲットとしたメニューとして広まる。また、そこから全国へと広まることとなった。
  2. 明治時代にドイツへ6年間留学した、高畠増太郎氏により、大正2年東京の料理発表会でソースかつ丼を発表。その後東京早稲田鶴巻町の自分の食堂のメニューとした。


どちらの説にしても、大正時代にソースかつ丼が考案されたり、発表されたりした、としていますので、昭和になってはじめたところで、「元祖」を名乗るわけにはいきませんね。


中原市長は、<駒ヶ根ソースかつ丼の元祖>が喜楽だということを知っていたのでしょうが、これを日本の元祖と思い込んでいたようです。
伊那市の小坂市長も同様です。


もし、伊那谷の元祖を争うつもりなら、どちらも恥さらしな伊那か者(田舎者)。