・県外から見た田中県政

嫁さんの実家に家族総出で行っていたので、長野県内のニュースに触れる機会がありませんでした。
その代わりに、県外から見た長野県を知ることができました。

新潟日報の論説に、長野県民としては耳が痛いものがあった。(以下要旨)

長野県民は、田中知事に大きな期待を寄せ、圧倒的な支持で知事に迎えた。しかし、知事に迎えたことで安心してしまい、あとは期待して動かなくなる。田中知事は、この県民性にちょっと違うと違和感を感じたのではないか

まさに、その通り・・・。


知事の出直し選挙の後に行われた県議選で、何でも田中反対の県議を再任した県民性が一番の現われだと思います。
県を変えてもらおうとして田中知事を担ぎ出したものの、自分のたちの利益も確保しようと県議は利益誘導タイプをそのまま据え置く。
すべて他人任せで、県政への県民参画にはほとんど関心を示さない。
田中知事が孤軍奮闘していても、自分達のためであることを失念して、パフォーマンスが気に入らないと担ぎ手を辞めていってしまった。


県外から見ていて、なんとも自分勝手な長野県民だと思われたことでしょう。
知事さえ代えれば政治が変わると安易に思い込んでいた無責任体質を、他県からはあざ笑われていたと思うと、井の中の長野県民を痛感します。


しかし、村井氏を当選させたのも、その長野県民です。
自分の周りの景気が悪いからと、利益誘導を当て込んで、しばらくは金儲けをさせてもらおうとする身勝手さが招いた結末です。
県の財政は 「他人の財布」 程度の認識しか持たないので、他人の財布から自分の財布へ金を呼び込むことだけしか考えていない。
その末路は、自分の財布に戻ってくることすら予想できない単純馬鹿だと、県外の方々の冷ややかな目が物語っています。


田中県政で果たせなかった県民参加を、村井県政では成し遂げましょう。
そのためには、地元の県議会議員が県議会で何を考え、何をやっていたのかを知ることです。
決して「地元に何をしてくれたか」で評価しないようにしましょう。