・戦勝国アメリカと駒ヶ根市

小泉首相靖国神社に参拝したことが日本全国でニュースとなっていましたが、こういうことをする人を選んだのは日本国民です。
総理大臣は直接選挙ではないのですが、先の衆議院解散の顛末を見れば国民が信任したといっても言い過ぎではないでしょう。
長野県知事選挙と類似していますが、無責任な県民や国民が先のことを考えずに選ぶと、とんでもない人をトップに据えることになってしまう。


ところで、私が15日に、このニュース以上に気になったのがTVドラマ「二千人の孤児の母 澤田美喜物語」です。
番組欄のキャッチコピーをお借りすれば、

母たることは地獄のごとく〜エリザベスサンダースホーム実話!戦争が生んだ混血孤児に人生を捧げた女性!!名乗れない母たちの号泣

なんとも切ないタイトルであります。


詳しいことは知りませんが、第二次世界大戦で負けた日本に進駐軍が残していった許されざる置き土産であるところの混血孤児の保護活動に、人生を賭した方だと紹介されていました。
予告を見ただけであまりにも切なくなって、放送を見ることができませんでした。


最近の世界情勢を見てもそうですが、戦争と名が付くと大抵の犯罪が許容されてしまいます。
もっとも罪深き「殺人」が公然と行われるのですから、その他の犯罪はオマケ程度の扱いしか受けなくなってしまいます。
混血孤児が誕生した原因は、進駐軍兵士によるレイプだと伺っていますが、戦勝国の兵士が起こした性犯罪などはほとんど刑事事件にならなかったのでしょうね。


さらには、進駐軍の兵士に媚を売る日本人女性も現れ、やがて、どぶ川に、髪のちぢれた黒い嬰児、青い目を半ば開いた白い肌の赤ん坊の遺体が浮かび、金髪の孤児が道端に置き去られ捨てられるようになっていったようです。
戦争がもたらした悲劇。


戦争とは、軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと、と定義されています。
すなわち、争いごとがあっても兵器を使わなければ戦争とは定義されません。
さらに、国家間の争いに限定されるので、相手がゲリラだとされてしまうと戦争ではなくて、単なる攻撃に格下げされます。
イスラエルレバノン侵攻がそれですね。


定義とは異なり、戦争で戦死者の多くは一般市民です。
特に、アメリカが絡む戦争は、日本への原爆投下を最たるものとして、ベトナム戦争などを見ても市民の大量虐殺が伴います。
そして、壊滅的な環境破壊をも引き起こします。


しかし、アメリカという国は、国力増強がすべてに優先しますから、地球環境を犠牲にする事に罪悪感を持たない民族のようです。
CO2の1/4をアメリカ一国が排出していることからしても、この国は「モラルよりも利益優先」が顕著です。
兵器こそ使用しませんが、地球環境を犠牲にしてでも、国家間の争いに勝利しようとするアメリカの姿は、常時戦争状態にあるといっても良いと思う。


京都議定書アメリカに温室効果ガスの排出量を1990年よりも7%削減することを求めている。
ところが、この目標を達成するには現在の排出量を30%以上削減しなければならない。
それで、こんなことはとても無理だと悲鳴をあげているわけだが、この30%以上削減しなければならない状況は駒ヶ根市も同じであります。


京都議定書の削減義務は国が負っているのであって、地方自治体は義務を直接負わないと解釈しています。
周辺の自治体に削減させて、その上前をはねることで帳尻を合わせる。
駒ヶ根市は中原市長の元で、アメリカ並みの行政体質となっています。


こじつけのようですが、自然と話の流れでこうなってしまいました。
自治体間の競争に勝つためには、温暖化対策など風前の灯。
長野県もこれから、同じ路線を歩み始めるのでしょうか。