・粛清のはじまりか

今朝の新聞報道で長野県の教育長の辞任が伝えられました
・朝日新聞 『丸山・県教育長が辞意 高校再編先送りも』
澤田副知事、青山出納長と、相次いで長野県政の中枢を担ってきた人材が去っていきます。


村井氏が新知事として就任する前に、県の要職がすべていなくなってしまうことに不安を感じます。
なぜこれほどまでに早急に事を急がなくてはならないのか。


この不安を裏付ける証言を、村井氏本人が信濃毎日新聞の単独インタビューで答えています。
紙面一面のトップ記事ですから目にした方がほとんどだと思います。
県政改革を後戻りさせない_と訴えて当選した事を踏まえて、最初に取り組む課題として、

「経営戦力局は廃止」
組織は、普通の、当たり前の組織に戻したい。


「後戻りしないが、前に戻る。」
村井氏独特の破綻した論理に、いつもながらあきれてしまう。


教育長辞任の直接要因である高校再編についても、無責任なコメントを発しています。

選挙中は、一私人としての考えを言ったが、知事就任予定者としては慎重になる。合意のない計画は白紙に戻すべきだという考えは伝えるが、県教委の判断を待つということだ。


私は、飯田市での合同立会演説会で聞いた。
11項目の公約を、聴衆に向かってではなくマイクに向かって原稿を棒読みした中に含まれていた。
『県立高校の再編は、地域住民との合意を尊重。
 合意できた地域からの再編実施や、合意が得られない地域は白紙に戻して再検討する』


立候補者の公約を、一私人の考え_とトーンダウンして、
あたかも指示は出さない(法律上出せない)が、教育委員会の責任でやりなさいと責任転嫁。
今さら 一私人 の考えとして逃げることにどれだけの意味があるのだろうか。


教育長の辞任は、これほどまでに無責任で他人任せな新知事の下で、
改革路線を続行することが困難だと判断した結果だと思います。
県教委の高校再編に異論がないわけではないが、やろうとしていることの趣旨は理解できる。
厳しい県の財政事情を立て直すための一つの選択肢として県民に問題提起したことは評価できる。
ただし、やり方がまずかったと思いますが。


村井氏は、田中県政の改革路線を継承する考えを表明していた。
それを「脱田中ではなく、超田中だ」と表現していたはずです。
しかし、知事就任前の一連の発言は、すべて「田中県政の破壊」を意味します。


超えるの意味は、山を乗り越えて向こう側へ行くことであって、
決して、山を切り崩して新たに道を通して行くことではありません。
村井氏の言動は、自民党の国会議員の常でしょうが、表現が実態を反映していない。
言葉は行動を脚色する手段の一つであり、発言そのものには大した意味がない。


一般市民レベルでは想像もできないような「暗黙の圧力」が、すでに県庁内部を取り巻いているのではないでしょうか。
県の要職が敵前逃亡せざるを得ない状況を作り出す、守旧派の動きはすでに本格化していると見るべきです。
村井氏の公約が「表向き」のものであることが、これから少しずつ、いや、どんどん明らかになってくると思われます。
実際の県政は、密室、裏取引によって成立する『長野詣』が復活して機能することになるのでしょう。