・田中は負けたのではない

「田中は負けたのではない」
こんなことを書くと、反田中派からは、負け惜しみと後ろ指を刺されるだろう。
長野県知事選挙で、田中知事が村井候補に破れたことは事実だからです。


しかし、多く語られている敗因や評価は、我々凡人の尺度でしかない。
6年間でやれるだけのことはやった、彼でなければやり得なかったことに着手したと評価できるのだから、
政治家田中としてみれば、負けどころか、足かせが外れて自由になったとも考えられます。


こんなことを考えるようになったのは、県外の方からの長野県の考察を拝見していたからです。
長野の県益に捉われない視点で観察すれば、田中氏がやりたかったことと、できなかったことを冷静に見比べられます。
田中氏の可能性として、どこのポジションにいるのが最も都合がよいかを考えても、そのように思い当たります。


田中知事と長野県の関係、さらには分らず屋ばかりの県議たちとの関係を見れば、
田中氏が長野県でできることの可能性には、大きな負荷が伴いました。
地方自治体の長として行政を担う傍ら、新党日本の党首として国政をも視野に入れていたことからすれば、
巣立って行ったと考えた方が自然です。


先日ご紹介した新潟日報の記事における吉岡氏の論説。

熱狂が激しければ激しいほど、人々は自分では動かなくなる。人々は人気のキャラクターを支持し、投票はするが、後は期待して眺めているだけになる。
田中は任期途中のどこかで、「話が違う」と感じたにちがいない。(中略)
彼は、”個人”が自分で思考し、動くことの重要性を知る人だった。だが、自分がやったようにやる人はあまりに少ない。その実態に、ぼうぜんとしたはずである。


このような状況で、可能な限りを尽くして知事選挙を勝ち抜く必要性はなかったと思われる。
それよりも、ウルトラ無党派と称して、強力な援軍に頼らずに市民主体の選挙を敢行することで、
長野の県民性に賭けてみた、とも考えられる。


そうなると、選挙に負けたのは候補者としての田中知事ではなく、田中知事を必要としていた県民の側になる。
田中知事は、政治家田中となれば、新党日本の党首として鮮やかに国政の舞台に立てる。
一方、県民は、取り残された旧態依然とした体制の復活に怯えて暮らさなければならない。


だからといって、田中氏を恨んではいけない。
彼は、彼の人生を生きているだけだ。
長野県民も自分達のできる範囲で行動した結果を受け入れるしかない。


今回の選挙で、勝者はいないと思う。
当選した村井氏は知事の器ではないから、これからの4年間は相当に苦労することになると思う。
田中降ろしに成功した県議たちも、次回の県議選で、新たに目覚めた県民の手痛い仕打ちを受けることになるだろう。
ダム工事を手に入れたとほくそ笑んでいる土建業界も、真の治水の必要性に気がついてしまった地元の反発に驚くだろう。


田中氏を失ったことが敗北だとは言わないが、田中氏が目指していたものが、
県民の目指すべき道と一致していた点において、損失が大きいといわざるを得ない。
長野県は、人を失ったのではなくて、道を見失ってしまったのだと思う。


かぐや姫の歌にこんな歌詞があった。

私には鏡に映った貴方の姿を見つけられずに、私の目の前にあった幸せにすがり付いてしまった。

田中降ろしに成功したと思い込んでいる諸氏にピッタリのフレーズです。


しかし、これを聞かされる側の善良な長野県民は、切ないばかりか、完全な敗北を噛み締めることになります。
そこから、県民自治の芽を育てるために。