・ゴミ焼却の安全性は伝わったか

上伊那広域で計画されているごみ焼却場の学習会が開かれました。

焼却場建設予定地周辺の住民の不安を取り除くための開催です。

講師は焼却場が安全であることを中心に説明します。


さすがに専門家だけあって、『安全な施設』だと強調するだけの行政の説明とは異なり、具体的な危険性を例に『安全対策』で対処している施設について解説します。

『安全な施設』と『安全性を高めた施設』

この違いが説明できていないから行政と住民の軋轢が生じている。

昨日の学習会では、遠まわしながらこの点に触れていたことは評価できると思います。


ただし、物足りない部分もありました。

焼却場で発生するダイオキシンは、フィルターで除去されるので通常時は心配ないが、除去された煤塵(ばいじん)には高濃度のダイオキシンが含まれるので安定的な管理が求められる。

焼却場の安全を語ることが主だったためもあり、焼却場から持ち出された危険物がどのように管理されるのかについては一般的な基準が示されたにとどまり、将来的な処分の道筋が示されることはなかった。


ゴミ処理の問題点は、目の前から消えてしまえば安心する『他人任せ』が根本にある。

    • ゴミステーションに持ち込めば運ばれて無くなる。
    • 焼却場で燃やして無くなる
    • 焼却場で発生したダイオキシンも運ばれて無くなる

目の前から見えなくなることで『無くなる』と錯覚するが、移動したり変化したりしただけで物質としての存在は保持されたまま。


企業の研究所にいた時に、懇意にしていた上級研究員に言われた言葉を思い出します。

 「探し物が見つからないときに『無くなった』とは言うな」
 「物質が消滅する時には膨大なエネルギーが放出されるのだから、物が無くなることは実生活ではあり得ない」
 「『見えなくなった』のだから探せば見つかる」

ゴミを見る目にも共通する間違いを指摘した、研究者らしいものの見方で大切です。


ゴミを安全に焼却すれば公衆衛生が確保される。

昨日の学習会の骨子です。

しかし、本当の意味の公衆衛生から考えると、ゴミの成分は大気中に拡散したり、危険性を濃縮して別の場所で厳重に管理されるだけで、無くなったり減ったりしているわけではない。


こういった面から、明日も考えてみたいと思います。