・現状維持は自己満足の幸せ

お役所仕事と現状追認に安どする市民の組み合わせでは何も変わらない。

上伊那広域連合が計画するごみ焼却施設の話だ。


お役人は、達成が確実視される堅実な目標を堅持したがる。

お役人と仲がいい模範的な市民も、今の延長線上で飛躍するのがいやだから少し背伸びをするくらいで満足する。

可能な限りを尽くして検討を重ね、コストと環境負荷を最低限にするには、この面々では無理なことは明白だ。


行政が主体となった検討委員会のようなものは、押し並べてこういう経緯をたどる。

違った展開を見せる時は、行政の長が素晴らしいビジョンを抱いていたり、多数の聡明な市民が野心的な試みに賛同するような場合だ。

行政の職員がリーダーの先を行ったり、地域の役員が他の先進地域の良いところをまねてみようと檄を飛ばしたりすることは、極めてまれだろう。


では、現状の殻を破れない上伊那が一皮むけるためには何が必要なのか、考えてみる必要がある。

一つの解決策は、足を引っ張る現状維持派を取り除いて、可能性を信じて新たな領域に踏み込む別プロジェクトだ。

現状維持が良い人たちは、お役人が作った「金はかかるが手間は惜しめる」無難な計画で自己満足していればいい。


そんな「ズク無し」は枠の外に置いて、先駆者たちの功績を調べ、地域の特性を鑑み、あらたな上伊那モデルの創造に取り組んでこそ、本当の意味での検討委員会だと思う。

しかし、提案しても受け入れられない。

大きなゴミ焼却場を作って儲けることが至上命題の業者と癒着しているからだと、後ろ指をさされても仕方がないだろう。


ゴミが不足するほどの大きな施設を作るのは誰にでもできる。

ゴミが不足しては施設が困るのでゴミ減量はほどほどにという結末が見えているが、関係者が責められることは少ない。

一方で、ゴミが余るほどの小さな施設を作ることはお役人には絶対に受け入れられない。

焼却施設が小さければ必然的に地域のゴミを必死になって減らす努力が生まれ、環境にも自治体の財政にも大きく貢献するのだが、ゴミが自由に捨てられないことに怒りを爆発させる市民が必ずいるからだ。


市長や市民に少しでも批判の芽を生むような野心をもってはお役人が務まらない。

そういうお役人に地域の将来ビジョンを描かせることが、矛盾に満ちていることは誰の目にも明らかだ。

ビジョンは行政の長や市民が示さなければならない。

お役所仕事は、ビジョンをさらに高めるための助力に徹しなければならない。


お役人があらかじめ検討して、それを追認するだけの検討委員は無駄だ。

殻を破った先が見通せない、視野の狭い委員会ではなおさらだ。

上伊那広域連合のゴミ処理政策は多くの伸び代を内在しながらも、そこに一歩踏み込む意欲に掛けるために多大なコストと環境負荷の削減の機会を失おうとしている。


できることをやろうとしない、できるかもしれないことには目を向けない、こんな姿勢を改めて、できないかもしれないがやってみる。

これができるようになったら、市民生活に多大な恩恵が生まれるのだろうが、現状維持が一番幸せと思っている方々には手の届かない幸せなんだと思う。

市民をそこへ導いてこそ公僕としての使命が果たせるのではないかな、お役所の方々。

市長を突き上げてでも、地域を向上させる意欲をもった管理職が上伊那にはいないのかな。