・せいぜい頑張った北京五輪折り返し

北京五輪選手村で日本選手団を激励後、記念写真に納まる福田首相(最前列左から2人目)ら=8日午後(代表撮影・共同)


「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」
「私はね、日本国民のためにメダルをいくつ取ってくれなきゃ困るなんてこと言いません。余計なプレッシャーかけちゃいけないと思って自制しているんです」
「今年は、みんな旅行にも行かないで、家でテレビの前で一生懸命見ようということのようだ。ガソリンが高いせいもちょっとあるんだけどね」
今月8日、北京五輪開会式を前に日本選手団を激励するため選手村を訪問した福田康夫首相のあいさつです。

このせいぜい(精精)は、石原都知事も批判したように、「たかだか〜」と見下した意味あいで使われることもあり、軽々しく使うと失礼になってしまうことがある。

福田首相のあいさつは、まことに軽々しいので「せいぜい」も『できるだけ。一生懸命。』の重い意味を持つようには聞こえてこない。


日本の柔道が期待はずれに終わったのが首相の挨拶のせいだとは思いませんが、どちらの意味でせいぜい頑張ったのかは柔道が日本の国技であるだけに気になります。

選手個人の努力には惜しみない賞賛を差し上げますが、競技に勝利する執念が他国に比べて抜きん出ていたかというとそうでもないように思われます。

それを物語ったのが100キロ超級で優勝した石井選手ではないでしょうか。


優勝直後のインタビューで、「決勝戦の戦いが自分の柔道。冒険をせずに完全に勝てばいい」と言った石井選手。

五輪代表選考会の一つ、昨年末の嘉納杯決勝でライバル井上康生と対戦した石井は、相手への指導1つの小差で勝った。

作戦勝ちだったが、周囲からは「汚い」「ずるい」と非難されたたが、それでも石井の信念はかたかった。

「柔道はルールのあるけんか。芸術性が大事なら採点競技をやればいい」。


かつての山下泰裕のように卓越した技能を持っているような選手は勝利に一本の美学を重ね合わせることも許されるだろうが、互角のライバルたちから勝ちを収めるには石井の言う「ルールの中で勝ちに徹する」姿勢は大事だと思います。

華麗に一本で勝てる選手がいつの時代にも、どの階級にも揃えられるほど日本の柔道人口は多くない。

フランスは日本の3倍もの柔道人口がいるらしい。


テレビで観戦するだけ、柔道もちょっとかじったことがあるだけの、ほとんど門外漢のたわごとですが、せいぜい頑張る方向性が日本の『柔道』と国際競技の『JUDO』で違ってきていると思います。

日本国内で、国技の美学に磨きをかけることと同時に、国際競技で日本の地位を保持することも求められる。

国際競技の母国としての重荷に押しつぶされることなく、この難題を克服して欲しいと思います。


だからこそ、まぎらわしい「せいぜい」などという表現ではなく、「力の限りを尽くして戦ってください」と国民の目線で挨拶できない福田首相の見下し目線が気になります。

石原都知事によると、開会式で元首クラスの最高指導者がそろっている中で、自国の選手が(入場して)来て、立って手を振らなかったのは、福田首相北朝鮮の代表だけだった。

北朝鮮の代表と同じ目線で福田首相が国民を見下していることがハッキリした場面だと思います。