・無差別テロ犯はゾンビになれ

店頭で売られているダガーナイフ(手前)などのナイフ=10日午後5時05分、大阪市北区梅田のナイフ店(産経ニュース)秋葉原の無差別殺人事件は、見方を変えれば大義なき無差別テロです。

犯人の罪は極刑に値します。


しかし、日本の極刑は「死刑」なので、自殺願望を抱く犯人には懲罰として機能しません。

少なからず存在すると思われる犯行予備軍も、自暴自棄になって犯行に及ぶことを考えると「死刑になるのが嫌だから止めよう」とはならない可能性があります。


事件の背景は、犯人が望んだとおりにワイドショーを独占して次々と明らかになってきています。

両親もマスコミに登場し、あっさりとした謝罪と、面目を優先した状況説明の拒否など、『この親にしてこの子あり』が社会にさらされ、犯人の思惑通りです。


こうした身勝手な犯行を未然に防ぐ手立てはこれからの重要な論点となるでしょうが、頭の固いお役人たちが法律を作る国会で「生きた法律」ができるとは思えません。

国民が参加する裁判員制度が始まるのですから、犯人の目線で犯行を抑止するための法律を考えるべきだと思います。


虚飾された自己実現が目的ですから、これらを逆手にとって、最も避けたいと思わせる処罰を与えるぞ、と示すのが効果的ではないでしょうか。

例えば、今回のように、無差別に何の罪もない人を殺した場合は、なくなられた方の人権が無謀に奪われたことになるので、『人権略奪罪』を適用します。

判決では犯人の人権を認めない「人権剥奪刑」を与え、さらに、人格も認めずに、『生ける屍(しかばね)』として扱われるとしたら、それは”ゾンビ”として体が滅びるまで犯した罪の重さを一身に背負って生き続けることになります。


極端な考え方かもしれませんが、アニメの世界に生きている彼らの価値観を考慮して、有効な抑止力を持つ刑法の処罰として提示するならば、お役人では思いも付かないような『バーチャルを現実に引き戻す』ことが不可欠だと思います。

死刑に代わる極刑として、『人権剥奪刑』を提案したいのですが、これには人権団体が猛反発するでしょうね。


しかし、本当に尊重されるべきは犯罪で奪われる側の人権のはずです。

人権団体は、犯罪被害者の人権を最優先し、犯罪で失われる人権を未然に防ぐために、「他人の人権を奪ったら、自分の人権を失うのですよ」と、犯罪予備軍に呼び掛けることが本来の活動だと思います。


「人権略奪罪」に適用する「人権剥奪刑」。

因果応報になっていると思いますが。