・脱原発は家庭レベルの工夫で可能

中部電力浜岡原発の停止を渋っているが、株主向けのパフォーマンスだろう。
社会的責任よりも営利企業としての株式対策が優先するのが企業というものだから、企業に社会的責任感を求めることの方が間違っていると思ったほうがよさそうだ。
エネルギーを企業に握られている一般人は、常に弱い立場にある。

菅首相が一般人の感覚で原発停止を決めたことを賞賛するとともに、菅さんが普通の政治家の感覚を持っていたら今回の決定はなかったと思う。
震災復興などの菅総理には無理な職務は誰かに任せ、菅さんでなければできないことに専念した方が後世に名を残すことになる。
薬害エイズの時もそうだったが、この人は政治家らしくないことに価値があるのだ。

浜岡原発は近いうちに止まるとして、その影響があれこれと囁かれている。
計画停電が起きそうだとか、産業の停滞を招くとまで言い切るものも目にする。
ニュースは大げさに取り上げた方が読んでもらえるからだろうが、騒ぎすぎだと思う。

原発を止めて火力発電に切り替える見込みだから温室効果ガスの排出が増える。
緊急時だから仕方が無いといってしまえばその通りだが、温暖化防止は地球規模の人類に与えられた使命だ。
おろそかにはできない。

原発の廃止を機にエネルギーの需給を根本から見直す社会的な共通認識を作り上げていく必要がある。
忘れてならないのは、我々の身近には十分なエネルギーが存在し、その気になれば原子力にも頼らず、火力も不要になり、地球温暖化の呪縛からも開放されることができる。
駒ヶ根市の一般家庭を例にとれば、敷地の1〜2m地下にある地中熱で家庭で消費する1.5倍のエネルギーが得られる。

地中熱を取り出すには電気を動力源とするヒートポンプシステムを設置するので、小規模の太陽光発電とセットにすれば実現する。
夜間の電力は電気自動車の普及とともに、そのバッテリーを太陽光発電電力の蓄電装置として併用する次世代型のエネルギー供給システムが有望だ。
再生可能エネルギーの普及が進まなかった最大の要因は、原子力を国家戦略として位置づけてきた自民党の愚作に尽きる。

しかし、政権交代しても民主党原子力政策を追認する姿勢を見せていたから、先見性の無い政治という点では同列だった。
不幸中の幸いにして原発を止めるという選択肢が社会的に認められる雰囲気ができつつあるので、この機に再生可能エネルギー促進へ舵を切り、身近なエネルギーで安心して暮らせる豊かな社会を目指してもらいたい。
原子力で企業も国も金儲けを目論んでいたのは明らかだが、国民を豊かにするのは原子力ではなく国民に知らされていない身近なエネルギーのほうだ。

浜岡原発津波対策が完了するまでの時限停止が前提だが、まずは止めることに意義がある。
止めている間に再生可能エネルギーの開発と普及に本腰を入れれば、原発に依存する勢力は今よりもさらに萎んでいるはずだ。
原発は停止しても未来永劫まで放射線廃棄物の管理は続けなければならないから、安全対策は過剰なまでに投資する必要がある。

コスト至上主義の経済的な判断からしても、原発がエネルギー供給の舞台から退散する日はそう遠くない。
問題なのは、原発が無ければ社会が成り立たないとするニセ経済学者の存在だ。
これまで抑圧されてきた再生可能エネルギーの研究者を国家を上げて支援することで、勢力図は一気に塗り替えられる。

震災対応で不手際が続く菅総理が辞めないというなら、菅総理を最大限に利用して再生可能エネルギーへの予算転換に踏み切らせればいい。
原子力に充てられている予算を再生可能エネルギーに切り替えれば、「停電」の呪縛が幻想だったことに多くの国民が機が付くことになる。
原発問題は、自分の生存権を国や電力会社に全面的に依存している多くの国民の能天気な気質から目覚めさせてくれる好機としましょう。

予断ですが、我が家はすでにエネルギーを100%自給して、消費量の数倍の電力を供給する側になっているので、中部電力原発を止める事による影響はほとんどありません。
計画停電することになれば、自家用電力網の設計に見直しが必要になりますが、供給量としては十分にあるので問題は無い。
理想にはまだ程遠いが、現在の技術レベルでも工夫次第で脱原発が可能だと言うことを実証しています。

脱化石にはまだ数年はかかる見込みですが、私が年金をもらう年齢になる前にはリスク分散に利用する程度の存在でしかなくなっていると思う。
やろうという気持ちと、少しばかりの探究心があれば、家庭のエネルギーの安定は手に入れられるんです。