・田中県政の負の遺産

高校再編が暗礁に乗り上げたのは、田中県政の負の遺産だとSM新聞の社説にある。

県会側は県高校設置条例を改正し、議会が最終的な判断を行う形にした。県教委に「待った」をかけるためだった。その結果、政治から独立した存在であるべき教育員会の裁量に、県会の意向が深く介入することになったのは残念だ。田中県政時代の負の遺産といえる。


SM新聞の真骨頂が現われた、典型的な田中批判記事です。


社説=高校再編 前向きに仕切り直しを 記事引用 → *1


不条理な田中批判に対して非難すると「田中擁護だ」と、言いがかりをつけてくる人がいますが、
言いがかりをつけて、田中批判にこじつけようとしている側こそが非難されるべきだと思います。
田中氏を擁護するとの立場ではなく、村井氏を過剰に擁護するSM新聞を非難します。


どこが村井擁護だというと、

  • 政治から独立した存在であるべき教育員会

これは、村井知事が高校再編の提案者でありながら、否決された責任逃れをするために使ったフレーズです。
SM新聞は、村井知事を擁護する立場からは、県教委を独立させて知事の責任を分離させるが、
田中前知事を批判する立場からは、県教委に県会を介入させたとして前知事の責任を追及する。


これを矛盾と言わずして、何が矛盾となるでしょうか。
県教委が独立した存在なのは、田中県政も村井県政も同じはずなのに、
中立であるべき報道機関が、あからさまに村井知事をえこひいきしている記事だってことは、
誰が見ても分かります。


さらに、県会が県教委に介入したのは独立した存在である県会の総意です。
県知事が県会の行動に責任を取る必要があるなどと、とんでもない屁理屈をこねるSM新聞編集者の頭はおかしい。
田中県政時代の遺産だというが、その遺産を活用した村井知事の責任にすこしも言及しないのはなぜだ?


村井知事は、就任当初の記者会見で、

私が中身をいじることは、これは致しません、はっきり申しますけれど。しかし、議案として出すというところが実はミソでございまして、議案につきまして議会でご処理しやすい、できるだけご処理がしやすいような形を十分に工夫して出させていただきたい、このように思っております。こちらの方は中身に関わりませんから、教育委員会の政治的中立、あるいは教育委員会の独立を侵すものではない、単に知事と議会の関係で議案の形態などについて目配りをすることは可能だろうと思います。

議案の提出は、議会で処理しやすいように知事権限で手を入れて出すことを明言しています。
すなわち、提案者として知事は議案に介入している存在です。


高校再編議案が否決されたことを受けた記者会見で村井知事は、

私の立場からはこのような県議会のご批判を受けたということは、独立の行政委員会として合議体として一体でこの教育問題に責任を持つ、教育委員会としてぜひその責任の重さというものはご認識いただきたい、このように思う次第であります。
もう一度繰り返します。独立の行政委員会であり、合議体としてその職務を行う教育委員会のメンバーとしての教育委員の皆さんに、このような事態になった責任というのは十分にお考えいただきたい、このように考えるということであります。

一方的に、全責任を教育委員会に押し付けようと必死です。
「もう一度繰り返します」と念を押して、自分の責任逃れに終始しているところなどは、
議案に介入して提出した知事としての見識が問われる。


SM新聞は、なぜにこれほど明確な矛盾を追及しないのか。
村井知事の責任逃れのために、過去の田中県政を引っ張り込もうとするのか。
田中批判一辺倒だったSM新聞は、村井擁護一辺倒に様変わりしました。
これを世の中では「豹変」*2といいます。

*1:長野県内の県立高校の将来像をどう描くか−。きょう20日に開く県教委定例会は、仕切り直しの場になる。高校の統廃合議案9件のうち、県会の同意を得られたのは3件にとどまった。否決された6つの再編案、定時制から単位制・多部制への転換も含め、全体像の見直しが迫られる。県教委が2007年度から全日制一斉実施のスケジュールにこだわったばかりに、対象校の関係者との感情的な対立が深まった印象が強い。この時期まで結論が出ず、問題をこじらせた責任を、県教委は重く受け止めるべきだ。県会側は県高校設置条例を改正し、議会が最終的な判断を行う形にした。県教委に「待った」をかけるためだった。その結果、政治から独立した存在であるべき教育委員会の施策に、県会の意向が深く介入することになったのは残念だ。田中県政時代の負の遺産といえる。最優先すべきことは、来春への準備だ。飯山照丘と飯山南、中野と中野実、木曽と木曽山林の統合によって、新しい高校が誕生する。時間は短いが、生徒たちの希望に応える学校づくりに尽くしてほしい。統合が否決された学校では、既に体験入学や学校説明会が行われている。受験生には「今ごろ否決されたらかえって迷惑」という声もある。県教委は進学を希望していた生徒や保護者、学校関係者に、さらなる混乱を招かないように、丁寧な対応をすべきだ。その上で、今後の方針を見直したい。否決された統合案を一つひとつ見ると、地元の受け止めには温度差がある。飯田長姫、飯田工業の統合案では、施設整備を進めた上で、08年度からの統合ならできるという意見が出ている。他の統合案も賛否が割れた。時間をかければ再編できるのか、白紙撤回すべきか、個別の判断はこれからだ。定時制の統合にも影響は避けられない。県教委は、定時制から単位制・多部制への移行は学校が存続するため、県会の議決が必要ではないという解釈だ。ただ、今までのやり方が通用しないのは明らかである。中学を卒業する生徒数はピークだった1990年から4割近く減っている。高校再編は避けられない課題だ。一方で地域の思惑が絡み「総論賛成、各論反対」になりがちなことは今回の結果でも明らかである。統合中止の判断を下した県会にも責任はある。社会や子どもたちのニーズに応じた、長野県の高校像をどうまとめていくか。県教委、学校関係者、県会が加わり、冷静に検討する仕組み作りを急ぎたい。

*2:[名](スル)《「易経」の「君子豹変す、小人は面を革(あらた)む」による語。豹の斑文がくっきりしているように、君子ははっきりと過ちを改めるという意から》人の態度や性行ががらりと変わること。本来はよいほうへ変わるのに用いたが、現在では、よくないほうへ変わる意味でいうことが多い。「相手を見て態度を―させる」