・情報を遮断する村井県政

長野県の公式サイトから、過去の情報がどんどん削除されていると伝えられています。
新聞報道や県議会でも取り上げられるほどですから、かなりのもです。


村井知事にしてみれば、田中前知事の置き土産だと感じるので、
一刻も早く消し去りたい気持ちが高じて、命令しているのだと思います。
しかし、県民の立場に立てば、知事が変わったとはいえ、県政は連続しています。


田中知事のものであろうと、さらに遡って吉村知事のものであっても、
行政活動の記録として、保存する義務のあるものや価値のあるものは、
常に、県民が見られるように保管する必要があります。

報道によれば、

信州・広報ブランド室によると、田中県政に関する項目を削除したのは3日夕。知事会見録や、脱ダム宣言などの「知事の宣言」のほか、田中氏の活動を紹介した「知事の1日」などが消された。同室は「2人の知事の施策が混在するのは、見る人が混乱する恐れがある。総合的に判断して対応した」と話している。
希望者には、県庁3階の同室で田中県政の項目を閲覧できるようにするという。(2006年10月6日  読売新聞)


県庁まで行かないと見られないということは、南信の県民からすると、
情報が遮断されたに等しい。


冒頭でも言ったとおり、県政は連続しているので、過去の情報は流れを確認するために必要です。
これ無しには、今現在行われている施策が、過去の流れに沿っているのかどうか判断できません。
知事が変わって施策も変わるのなら、前とどこがどう違うのか、
県民が判断できるだけの情報の対比が求められます。


ところが、今の県の姿勢は、過去を断ち切って、新たに歩み出しているとでもするように、
数ヶ月前の記録さえも消し去ってしまっています。
前知事の記録が残っていることで混乱するのは県民ではなくて、
理解力が低下しているのに県庁に鎮座している一部の老人に限られていると思います。


村井知事は「超田中」とも言っていたはずです。
超えるための田中県政の記録を消してしまって、
県民に対してどうやって超えている姿を見せるつもりなのでしょうか。


前県政は、原則として県庁内の情報は公開するとしていましたが、
現県政は、原則として県庁内の情報は公開しないと反転してしまいました。
原文で公開していた前県政と、要約だけにとどめる現県政の違いも際立っています。


県のHPから消されたと思われるコンテンツは、

  • 部長会議録
  • 車座集会
  • コモンズから始まる信州ルネサンス革命
  • 県政改革について

などがあると、読者さんから寄せられています。


「広報ながのけん」のバックナンバーまで消し去る徹底振りには、
過去との比較を嫌う村井知事の臆病な側面が現われています。
さらに、過去を消し去って独自色を強く押し出そうとしている気持ちがひしひしと伝わってきます。


次には、情報を都合よく操作して、県民受けのよい形に変えて「大本営発表」とするつもりでしょう。
何しろ、8月31日までは「日本会議 長野議長」だった方ですからね。
今現在でも「日本会議 長野名誉顧問」ですから、お上として県民の上に君臨し、
下々の県民の扱いには、ぞんざいになって当然かもしれません。