・子供の個性と学校の特色

赤穂東小の5、6年生が赤穂中学校を見学 =伊那毎日新聞=駒ヶ根市内の二中学校が大規模と小規模なのは、問題ではなくて特色だと考える人が少ないのが残念です。

平地に点在する立地条件なら規模均衡を目的に通学区をいじって生徒数のバランスをとることも大事だと思います。

しかし、河岸段丘による起伏があり、天竜川という大きな川を挟んで、文化も歴史も地形も異なる地域環境を無視して、数合わせだけの机上の空論では困ります。


10年前から続いている通学路の見直し論議は、生徒の利益は横に置かれ、地元感情や大人たちの意地の張り合いでまともな進展を見てきませんでした。

本来なら中立を保ち、適切な教育環境を作り上げるために調整役となるべき教育委員会も、教育長と教育次長(当時)の恣意的戦略の手先となって、地域懇談で火に油を注いでいたのですからまとまらないのも当然でした。

教育委員会の偽善性は、大分県の一件でやっと周知されるようになってきましたが、少し前までは「教育長がああ言ってるんだからその通りにしないと・・・。」と、絶対視する雰囲気が強かった。

教育長が間違った発言を繰り返しても、「教育長が間違うはずはないから、言っていることは正しい」と、妄信する市民がほとんどでした。


一昨日と昨日、市内の両中学校を通学対象とされる小学生が見学しました。

赤穂小学校の規模の大きさに驚き、東中学校の小ささに救いを求める声が少なくなかったようです。

だからといって小さすぎては困りますから、小規模校としての特色を維持するためにはどういった改革が望ましいのか検討されるべきです。

見学した児童は、自分の個性が生かされる教育環境はどちらなのか、考える機会が与えられて幸せだと思います。

通学区が自由化されている長所が出た結果です。


しかし、新たな通学区が線引きされれば、通学区の選択は出来なくなるはずです。

通学区が全域で自由化されているわけではないので、選択の自由が制限されるのは仕方がないことですが、学校の特色を生かし、それに符合する生徒が集まる機会が奪われるのも、教育機会の平等の点からすると望ましくない。

通学区を考えるときには人数や区域割りにばかり気をとられていますが、忘れてはならないのが子供の特性を生かす教育環境の提供です。


かつて、学校の適正配置を論議する会議で、一部通学区を自由化して生徒数のアンバランスの解消に取り組むべきだと提案したことがあります。

この提案に対して教育長は「絶対にやらない!」と否定しました。

教育長がそう言うならと、会議の流れは通学区の自由化は問題解決の手段としてふさわしくないと否決されます。

しかし、合併に失敗して金の目処がつかなくなると手のひらを返すように、通学区を自由化した対症療法に切り替えました。


なぜ、かたくなに通学区自由化を拒んできたのかは聡明な方ならお分かりだと思いますが、教育長は小規模校を低学力校だと嘘を流布してまで廃校に追い込むつもりでしたから、自由化して東中の良さが赤穂地区に広まっては目算が狂います。

東中学校の良さに惹かれて通う生徒が増えては、廃校に追い込めずに新設校の存在意義が危うくなる。

教育長を妄信している方々は、「教育長は悪いことをしないからそんなことはない」、と思い込んでいますが、不都合な事実から目を逸らしているだけのことです。

当時の教育次長が仕組んで、教育長はそれに乗った形で策略は進められたのですが、状況から察すれば後ろで操っていたのは中原・前市長ということになりますね。


中学校をめぐる負の歴史を抱えたままで、子供たちのためを考えた検討が進むとは思えません。

どこかで膿を出し切らないと。